私は2002年から、定年退職者を中心に活動するNPOの理事をやってきました。
25年近く定年後に地域へ出てくる男性を見ていると、実にいろいろな人がいます。会社員時代の経験をうまく地域活動に生かし、楽しそうに活動を続ける人がいる一方で、最初は意欲満々だったのに、周囲とぶつかり、やがて来なくなってしまう人もいます。
なぜ、そんな違いが生まれるのでしょう。
長く見てきて思うのは、能力の有無ではないということです。むしろ会社では優秀だった人、一生懸命仕事をしてきた人ほど、地域に出たときに戸惑うことがあります。
その理由の一つは、「役に立つか、立たないか」という物差しを、長い間使い続けてきたことにあるのではないかと思います。
著者:正木隆雄
人を「役に立つか」で見てしまう
会社では、当然ながら成果が求められます。
営業ができる。数字に強い。技術を持っている。人をまとめられる。判断が早い。
「この人は何ができる人なのか」ということが重要になります。
それ自体は仕事をするうえでは当然でしょう。ただ、この見方が長年染みつくと、会社を離れても同じように人を見るようになります。
「あの人は何の役に立つのか」
「この活動に何の意味があるのか」
「こんなことをやって何になるのか」
そして厄介なのは、この物差しを他人だけでなく、自分にも向けることです。
定年退職すると突然、「自分は何の役に立つのだろう」と考え始める。
そこで地域活動に参加すると、「自分の経験を生かしたい」「何か成果を出したい」と思います。
しかし、地域には、何の役に立っているのかよく分からない時間がたくさんあります。
お茶を飲む。世間話をする。特に結論の出ない話をする。イベントに行って、椅子を並べる。顔を出して帰る。
会社の物差しなら「生産性がない」と評価されそうなことが、地域では案外大切です。
「あの人、最近よく来るね」
そこから人間関係が始まるからです。
地域では、「何ができる人か」より先に、「どんな人なのか」を知ってもらう必要があります。
ところが成果を急ぐ人ほど、その時間を飛ばしてしまいます。
男性は意外に「忖度されてきた」
もう一つ感じるのは、私たち男性は、思っている以上に周囲から忖度されて生きてきたのではないか、ということです。
子どもの頃には母親が身の回りのことをしてくれた。
家庭を持てば、家族や親戚、近所との細かな人間関係は妻が調整してくれた。
会社で役職が上がれば、部下が「部長はこういうことを言いたいのだろう」と考えて資料を作り、日程を組み、必要な段取りをしてくれる。
もちろん、すべての男性がそうだという話ではありません。
ただ、「いちいち言葉にしなくても相手が察してくれる」という環境に長くいた人は、案外多いのではないでしょうか。
地域に出ると、それが突然なくなります。
町内会でもNPOでもボランティアでも、基本的には対等な関係です。
「普通はこうするだろう」
「そこまで言わなくても分かるだろう」
と思っていても、誰も動いてくれません。
自分の考えを説明し、相手の考えを聞き、違う意見が出たら調整する必要があります。
会社なら、
「これでお願いします」
で済んだことが、地域では、
「私はこう思うんだけど、皆さんはどうですか」
になります。
この違いは思っている以上に大きいものです。
「正しいことをすれば結果が出る」とは限らない
そして、もう一つ大きな原因があると思っています。
人生には、自分ではどうすることもできないことがあります。
ところが会社員として真面目に働いてきた男性には、この「どうにもならないこと」と付き合う経験が意外に少ないのかもしれません。
失敗しないように勉強する。
仕事を覚える。
資格を取る。
経験を積む。
努力を続ける。
そうやって一段ずつ積み上げてきた。
努力すれば、ある程度結果がついてくる世界で生きてきたわけです。
ところが地域社会では、そうはいきません。
一生懸命企画しても人が来ない。
良い提案をしても賛成してもらえない。
会議で決めても実行されない。
お願いした人が忘れる。
「これは絶対に地域のためになる」と思っていることに、誰も興味を示さない。
正しいことを言ったからといって、人が動くわけではないのです。
ここで会社型の人は、さらに頑張ってしまいます。
「説明が足りなかったのではないか」
「もっときちんとした仕組みを作ろう」
「責任者を決めたほうがいい」
「皆が同じ方向を向かなければならない」
その結果、周囲から煙たがられ、自分自身も疲れてしまいます。
一生懸命になりすぎて、精神的に追い詰められてしまう人も見てきました。
しかし、そもそも地域の人たちは、同じ目的のために集められた社員ではありません。
仕事も違う。家庭環境も違う。健康状態も違う。価値観も違う。そして地域活動に使える時間も違います。
全員を同じ方向へ向かせようとするほうに無理があります。
「まあ、そういうこともあるか」
と諦める力が必要なのだと思います。
会社の経験は、小さく分解すると役に立つ
では、会社員時代の経験は地域では役に立たないのでしょうか。
そんなことはありません。
むしろ、とても役に立ちます。
ただし、持ち込み方にコツがあります。
私は、会社で得た経験を小さな「部品」に分解するとよいと思っています。
たとえば、
「会社で管理職をやっていました」
ではなく、
「会計なら少しできます」
「ホームページを作れます」
「パソコンの資料作りならできます」
「イベントの段取りなら手伝えます」
といった具合です。
こうした具体的な技能は、地域活動ではとても喜ばれます。
実際、私が長く活動してきたNPOでも、ホームページを作る、資料を作るといった会社員時代の経験は大いに役立っています。
ところが、
「この組織の運営方法はおかしい」
「活動方針を変えたほうがいい」
「もっと効率的にやるべきだ」
と組織そのものに踏み込み始めると、途端に争いが起こりやすくなります。
技能は貸す。
でも、相手の組織まで自分の思いどおりに変えようとしない。
このくらいの距離感がちょうどよいように思います。
求められてから話すくらいでいい
地域デビューしたばかりの頃は、少し物足りないくらいでよいのではないでしょうか。
問題点が見えても、すぐには言わない。
改善策を思いついても、しばらく様子を見る。
そして、
「どう思いますか」
と聞かれたときに初めて、
「会社ではこういう方法もありましたよ」
と差し出す。
経験を「教える」のではなく、「使えそうならどうぞ」と置いてみる。
それくらいの姿勢のほうが、地域では受け入れられやすいように思います。
そして何より、自分自身を「役に立つ人間でなければならない」という物差しから少し解放してもよいのではないでしょうか。
何もしない日があっていい。
役に立たなくてもいい。
ただ一緒にいるだけでもいい。
地域社会では、そんな関係もあっていいと思います。
凝り固まった自分を変える、簡単な方法
とはいえ、何十年もかけて身につけた考え方です。
「今日から人を役に立つかどうかで見るのをやめましょう」
「思いどおりにならなくても気にしないようにしましょう」
と言われたところで、簡単に変われるものではありません。
私自身も含めて、長い年月をかけて凝り固まった自分を変えるのは大変です。
ところが、一つ、かなり簡単な方法があるように思います。
自然と子どもを相手にする活動です。
野菜を育てても、思った日に芽が出るとは限りません。
天気も思いどおりにはなりません。
一生懸命世話をしたからといって、必ず立派な実がなるわけでもありません。
子どもも同じです。
こちらが良いと思うことを説明しても、言うことを聞くとは限らない。
予定どおり動いてくれない。
こちらの立場を忖度してくれることもありません。
「私は昔、部長だった」と言ったところで、子どもには何の意味もありません。
自然と子どもには、命令も肩書も効かないのです。
自分の思うとおりにならない。
努力したからといって、そのとおりの結果になるわけではない。
相手はこちらの気持ちを忖度してくれない。
そこで初めて、
「まあ、仕方がないか」
と諦める。
私は、この「諦める」ということが、定年後の男性には案外大切なのではないかと思っています。
投げ出すという意味ではありません。
自分ではどうにもならないことがあると知ることです。
自然や子どもと付き合っていると、それを頭ではなく体で教えられます。
会社で何十年もかけて身につけてきた物差しを、無理に捨てる必要はありません。
ただ、地域には会社とは違う物差しがある。
それに気づくだけでも、地域での居心地はずいぶん変わるように思います。
定年後の地域デビューとは、新しい肩書を手に入れることではなく、もしかすると、これまで自分を支えてきた「役に立たなければならない」「思ったとおりにしなければならない」という力を、少しずつ抜いていくことなのかもしれません。
